若い頃、プロレスにハマっていた。武道館、国技館(両国も蔵前も)、もちろん東京ドーム、そして聖地後楽園ホール。千葉や埼玉はもちろん、大阪や、広島にも「遠征」した。あの頃チケットに費やしたお金と時間を、もっと上手く貯金するなり有意義な勉強に使っていたら、もう少しマシな人生になっていたのかもしれないが、そう言うことを考えつきもしないのが、若さである。(いや、若さを言い訳にすれば許されると思うところがそもそも甘いし、きっとそんなに人生変わってなかったと思う・・・)。
それにしても、チケットを買う時、どのあたりの席にするか、これは大問題だ。もちろん、リングサイドともなれば、選手の汗(時につばも!)が飛び交い臨場感抜群なのだが、いかんせんチケット代は高い。あぁ、いつか金持ちになって、リングサイド席の常連になりたいものだ、そんなことを夢想している暇があったらもっと勉強でもすれば今頃は、とどうも今日はそんな愚痴モードか。
いろんな席種を試してみて、ひとつたどり着いた結論は、二階席か三階席(またはそれ以上)である。距離があるから、細かい技の攻防や表情はよくわからないが、上から見下ろすと、リングサイドの悪役マネージャーや花道から乱入しようとする関係のない選手も含め、全体の動きがよくわかる。それに会場全体を包み込む観客のリアクションを全身で感じることができる。何より懐に優しい。まぁ、回数が増えれば、結局懐具合は厳しくなるのだけれど・・・。
なぜこんな話かと言えば、プロレスが大衆演芸の集大成であるのと同様に、オペラはあらゆる芸術の頂点に君臨する絶対王者であり、この点で二つは実はよく似ているからだ。(こじつけ?)
この辺りの話をはじめればキリがないので、グッとこらえて座席の話に戻す。
久しぶりに新国立オペラを見た。新国立は、外国の有名な劇場の来日公演とは違うが、それでもオペラだからチケットは高額だ。グリゴーロやオロペサのリサイタルのチケットにお金を使って懐が・・・(また懐の話か)
幸いなことに、合唱を含め、マイクやスピーカーを使わないクラシックの生の公演では、ステージに近ければ近い方がいいというわけではないのは、同意してくれる人も少なくないと思う。特に音響のいいホールは、音が会場の隅々に広がっていく。真っ直ぐ直線的に進む音もあれば、天井や壁に当たってから、音のシャワーになって降り注ぐ音もある。
もう何年も前だが、ネトレプコが急遽代役でビオレッタを歌ったNHKホールの椿姫。客席に背中を向けながらのピアニシモが、天井桟敷のてっぺんまでビリビリと響いてきて、鳥肌がたった。
そこで、今回の新国立では、試しに四階席を買ってみた。balcony。いわゆる天井桟敷と言っていいかもしれない。オーケストラ・ピットは全く見えないし、開演前に「身を乗り出すべからず」とわざわざきつく戒めるアナウンスがあるのだが、まぁ指揮者の顔を見にきたわけではないからそれはいい。
それよりステージ全体が見渡せる。悪くない。『ジャンニ・スキッキ』は、工夫を凝らした舞台設定と演出で、四階席からでも十分楽しめた。「私のお父さん」も素晴らしい歌唱で大興奮。

ところがである、問題は『フィレンツェの悲劇』。バリトンの歌手の声がなんだかよく聞こえないという悲劇。他の二人、テノールとソプラノの声は届くのだから、ホールの問題というわけでは多分なさそうだ。失礼ながら、歌唱は悪くない。いい声をされていらっしゃるのに、耳をすまさないと聞き取れない。これには参った。体調が悪かったのだろうか。(個人の感想です・・・)
そういえば、クライスの公演が近づいてくると、箕輪先生からは、よく二階席の上に届かせるように意識して発声しましょうと指導されるが、まさにこのことだなと思う。
最前列だろうが、二階席だろうが、四階席のいちばん後ろの天井桟敷だろうが、声量というよりは声質で、きちんとクリアに歌声を届かせる、そんな発声を目指したい。そんなことを改めて実感させられた、いい体験だったと思うことにする。
というわけで、どうにかこうにか合唱団のブログらしい着地点に落ち着くことができた様に思うが、どんなもんでしょう。
(ただ、インターネット上のいわゆるオペラの専門家の皆様の評価は非常に高く、このスター・バリトンを褒め称えている記事を何本も見たから、もしかしたら自分の聴力の衰えのせいなのか? だとしたら、悲し過ぎる・・・というかこの拙文の前提が根底から崩れていく・・・)
ま、いいか。
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