1.「ヘルツが足らん!」と怒鳴っているのは、指揮者の石丸寛先生。怒鳴られているのは私を含め総勢45名の合唱団員。
今から49年前のことです。全日本合唱コンクールの全国大会を明日に控え、私が所属していた会社の合唱団は緊張感と長時間の練習の疲労から惰性的な歌唱になり始めていました。
「心が入っとらん!」の一言に、それまでの合唱への取り組みの甘さを、木っ端みじんに打ち砕かれたのでした。
そしてその後の1時間の練習は、まさにヘルツ(ハート)のうなりを皆で同調し合い、高め合い、石丸先生の要求をことごとく飲み尽くし、吸収し尽くししたのです。
2.合唱は個人の能力の足し算ではないとよく言われます。
一人ひとりの心が一つになって全身全霊をその音楽作りに傾注した時に、そのアウトプットである合唱は、掛け算式に素晴らしいハーモニーを生み出す、と言われます。
私自身の経験からしても掛け算式はオーバーかもしれないが、少なくとも「合唱は1+1が3になる可能性を秘めた団体活動」であると思っています。
それは「喉+体」という共鳴体を振わせる音楽というだけでなく、心の映像が響き合う音楽だからで、精神的な要素が非常に大きいからでしょう。
だから心が共鳴しないような合唱は実につまらなく思えてしまう、たとえ自分の努力が足りない場合であっても。
そして心を共有できる友人が隣にいるといないとでは、合唱への取り組み自体に大きな差が生じてしまう。
この辺が素人と玄人の違いだろう。玄人ならどんな相手でもうまく合わせることが出来るのかもしれない。
3.私は合唱を始めた時、合唱とは何と面白いものだろうと思った。
全くの音痴だった私にとって合唱とは、音符の読み方、声の出し方を教えてくれた友人(残念ながら高校時代の男子なのだ)について、言われるがままに大きな声で自分のパートをはっきりと歌うこと、これに尽きました。歌が歌える、という喜びだけで長時間の練習にも耐えられたのです。
しかし、すぐに壁に突き当たりました。一所懸命歌っても自分だけではないか、というちょっとした孤独感が生じ始めたからです。
その時もかの友人は私に温かい言葉をかけてくれました。
「隣の人の声を聴きなさい」と。
私は、「えー、そんなことが出来るのか?」と聞き返したものでした。なにせ人の声を聴くと自分のパートの音が分からなくなるのですから。
それでも隣の声を必死で聴くことにしました。するとどうでしょう、自分の声とのハーモニーが耳の中に聴こえてくるではありませんか。大感激です。
しかし油断をすると自分の声が分からなくなるところは、やはりもともと音痴だった悲しさです。
だからこの時点では、隣の音を聴きながら自分も負けじとばかり歌うしかなかったのです。
だから大学の合唱団に入ってすぐ自分の歌い方に限界を感じました。
4.あの友人は別の大学に行っていて、一緒に合唱をやってはいません。私は試行錯誤を繰り返し、たどりついた答えは「隣の声に合わせる」ということでした。
私は当時はバスだったのですが、隣にいる学友は私より数段上手いテナーだったのです。
「よし、こいつについていってやろう」と決心した私は、いかに上手く彼の音に合わせるか、と一所懸命になったものでした。その効果はみるみるうちに現れ、私の歌は綺麗なハーモニーを醸し出したのでした。この時の嬉しさは今となっては恥ずかしいくらいの感激だったように思います。ハーモニーというものの持つ魔術に捕らわれたのであります。
5.しかし、であります。これでもまだ未熟と言わざるを得ないのですから、音楽は奥が深いですね。
会社の合唱団に入って、素晴らしい指揮者に出会って、難しい注文に応えようとする努力の過程で、「隣の声と響き合わせて、よりいい音にしよう」と思うようになったのです。
隣の音楽と競い合い、補い合い、響き合う、という領域に自分が踏み込んでみて、なんという法悦の領域があるのか、と驚きました。
6.再度しかし、であります。これではデュエットではないか。コーラスとは団員全員との響き合いではないか、とはたと気づくわけです。
そして最も難しく、しかも最も楽しい努力、全体の音楽を聴きながら自分の音楽を作る、という領域に到達するのです。
そこへ行きつくには猛烈な歌の練習が必要だったのですが、この苦労は私にとっては大いなる満足感を伴うもので、毎回の進歩が自分でも分かるものでした。
私はこういうステップを踏んで合唱の楽しさを身に付けることが出来たのですが、それは高校の1年間と大学の教養時代の2年間を経て、会社の合唱団の9年間のうちの最初の5年間くらいまでかかったと記憶しています。つまり延べ8年間もの期間が私には必要だったという訳です。
7.もちろん合唱はメロディーとハーモニーだけではなく、言葉の重要性も非常に大きく、いかに言葉の持つ情感や意味を自分の音楽の中に表現するか、ということが出来なければ音楽とは言えません。特に日本の歌においての日本語の美しさの表現は会社の合唱団で厳しく鍛えられたように思います。
この合唱団の指揮者は九州では有名な女性指揮者であり、この先生の練習の厳しさと音楽に対する真摯な思いと妥協のない美に対する追求の姿勢は、聴く人に感動を与え続けた方でした。惜しくも私のそれまでの合唱経験の最後の年に癌で亡くなってしまわれたのですが、私の音楽への真面目な取り組み、のめり込む姿勢はこの先生から学んだものでした。
8.これが私の合唱に取り組み始めた合唱事始めです。
いまコール・クライスに所属して、箕輪先生、小林先生のご指導を受けながら、この時の合唱への情熱の幾分かでもいいから思い出して歌おうと思っています。
コロナ禍でまだ一堂に会して合唱練習をすることは出来ませんが、しばらくは自主練習をしっかりして、一緒に合唱が出来るようになったら、思いっきり声を張り上げたいと思います。
皆さま、よろしくお願い致します。
Comments